みなさんはどう考えますか? Part 2

みなさん、こんにちは!!
校舎長補佐の小畑勇貴です。


前回は福澤諭吉さんのある言葉につい
て私の持論を展開していきましたが、
見ていただけましたでしょうか??


とかく、いまの日本の社会科教育は
詰め込み、詰め込みで「覚えたもん
勝ちでしょ」「暗記できればOK」み
たいな風潮になっています。


面白くもなんともないですよね(笑)
ただ皆さんにはどうすることもできな
いですよね(;_;)それが、はがゆくて
はがゆくてしかたないです。


では、今回の人物はこの方です。



松蔭



みなさん、お分かりですかね??


そうです。


吉田松陰さんです。


生まれは長州、今の山口県にあたります。現在でも山口県の人たちは敬意を表して、”松蔭先生”と呼んでいるそうです。簡単にこの人物について解説しておきます。文政13年(1830年)に生まれ、11歳にして藩主毛利慶親(敬親)の前で御前講義をするなどその才覚は幼少の時から秀でていたとの事です。しかし、1840年に起こったアヘン戦争で清国が西洋列強に大敗したことを知り、嘉永3年(1850年)から九州、江戸など遊学の旅にでました。

ここで皆さんが結構勘違いしているこ
とを紹介しながら、解説を続けようと
思います。みなさんが良く間違えると
ころですが、1853年ペリーが浦賀に来
航します。この時、吉田松蔭さんは黒
船に乗り込もうとしたと勘違いしてい
る人が結構います。乗り込もうとして
いたのは、長崎に寄港していたプチャ
ーチンのロシア軍艦です(笑)
あと、松下村塾ですが吉田松蔭が開塾
したわけではなく、叔父の玉木文ノ進
が開き、それを藩校明倫館の塾頭であ
った松蔭が引き継ぐになったとのこと
です。

吉田松蔭が亡くなったのは、安政6年(1859年)で歳は満29歳だったとのことです。
僕もあと2年後にはその歳になります。だから今回のテーマにしたというわけではないですが、あまりにも早すぎる死であり、有能な人財をなくした当時の日本は大きな痛手となったことが想像できます。

この大人物も多くの言葉を残していま
す。そのなかから、何個かピックアッ
プし、紹介したいと思います。

「平凡で実直な人間などいくらでもいる。しかし、事に臨んで大事を断ずる容易に求めがたい。人のわずかな欠陥をあげつらうようでは、大才の士はもとめることができない。」

「学問ばかりやっているのは腐れ儒者であり、もしくは専門馬鹿、または役立たずの物知りに過ぎず、おのれを天下に役立てようとする者はよろしく風の荒い世間に出て、なまの現実を見なければならない。」

「至誠にして動かざるものは、未だこれあらざるなり。」

「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。」

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に夢なき者に成功なし。」



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この言葉を聞くたびに、ただ学問に打ち
込むだけではダメなのだと思い知らされ
ます。人は死ぬまで、学び続けなければ
ならないという事がよくわかります。
また、3つ目の言葉ですが、至誠つまり
まごころをもって接すれば、動かないも
のはないという教えは教育者として肝に
命じておかなければいけないことだと思
います。


生徒に対して、”真心”を持って接して、
これからも指導に励んでまいります。
みなさんはこの言葉たちを耳にし、どの
ように考えますか??


東進衛星予備校
赤池校・西春校・高畑駅前校
池下駅前校 校舎長補佐
小畑 勇貴

2016年04月29日